tukinofuneyuraraのブログ

日々つれづれ 思いのままに♪

放っておく♪

相手が自分の事をどう思っているのか

相手が自分とのこの先をどう考えているのか

それを考えると出てくる不安と怖さは…

自分の中でとりあえず放っておく。

相手の気持ちを想像したところで

変えられることは何もない。

ただ、1人自分と対話する。

そうやって少しずつ自立して行く。

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪

 

 

相手がどうであっても♪

相手がどうであっても自分は自分。

相手の言動によって左右されない自分でいることの修行中、、、

苦戦中、、、

そうそう簡単に超えられる修行ではない。

時々腹も立つ。時々疲れる。時々もういいやと思う。時々楽な方に逃げたくなる。

慌てずにというけれど、自分でいようと努力しても相手の言動でポキっと簡単に折れてしまう事もある。

本当に簡単ではない修行だと思う。

その修行をしてでもその相手と一緒に生きていきたいのか、そこをしっかり考えないといけない。

向き合わなければ終わらない。

辛くても折れても、そこには向き合わなければいけないんだ。

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪

今日も一日ありがとう。

 

あとがない♪

色々なメッセージが届く。

ふと見た雑誌、ネット、本、日常、友人の言葉。

今の自分にタイムリーなメッセージがたくさん届く。

「今が別れ道」

そんな気がする。

約2年、うだうだと紆余曲折しながらも自分と向き合って来たつもり。

でも「つもり」ではダメなのだ。

もうあとはないよ、と言われているかのように

いろんなことが起きていろんなことが試される。

頑張ると決めたから頑張る。

自分の為に。

ただただ自分と向き合う為に。

そして、一歩ずつでも少しずつでも前へ進む。

いろんなものを取っ払って、まっさらな自分へ。

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪

 

受け入れる♪

今回の事で色々思った。

元はと言えば、あの事件が尾を引いている。

そこからいろんな感情が、今まで思ったことのなかった気持ちが心の中に出てくるようになった。

良くも悪くもね。

夫が気持ちを言ってくれない事に執着していた。

言ってくれないのには、どんな理由であれ、夫なりの理由があるのだろう。

そう思うと、話したくない人に無理矢理「言ってよ!」と迫るのはエゴなんだ。

オットを責めていた。

先に決まっていたのに、その日はダメだと言ったのに、どうしてその日にしたの?忘れてしまったの?と。

でも、夫を責めない理由を必死で探してみると、、、

あった。わたしにも。

私は夫のその予定が気になりながらも

家族の予定をスケジュールに入れてあるから大丈夫だろう

言ってあるから覚えているだろう

と思って敢えて、あの日程どうなったの?と聞かなかった。

気になりながらも当然わかっているものと思って聞かなかったのは私の落ち度で。

そう思うと夫を責めなくても良かったのかもしれない。

直接責めたわけではないけれど。

今回、相手を責めなくてもいい理由を必死で考えるという目からウロコの方法が知れた。

本音はある。気持ちをなんでも言って欲しい。

でも、言いたくないのならばやっぱりそれでも言って欲しいと思うのは私のエゴなのだ。

こんな風になってまで家族の予定を通すことよりも、もっと大切なことがあった。

「いつも通り」に固執することよりも、家族が円滑にスムーズに行くことの方が大切だと実感した。

それから、相手がどうであろうと私は変わらない努力、振り回されない努力、

相手を主語に考えるのではなく、自分を主語に考える癖をつけようと決めた。

私の人生のハンドルを握るのは私なのだから。

柔軟に。何事も。

目指せ!軟体人間!作戦開始!

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪

ありがとう、すべてに愛を込めて。

ふりだしか、それとも悪化か…♪

どっちだろう、これは。

素直に気持ちを伝えるのってとても難しい。

相手が「話し合い」できないタイプの場合

どうしたらちゃんと話すことができるのだろう。

すぐにキレるタイプも話し合いができないけれど

夫はすぐに「めんどくさい」「もういいわ」となる人。

気持ちも言わない。

伝えるのは一方通行、いつも。

そういう場合、どうしたらいいのだろう。

どうしたら「話し合い」ができるのだろう。

困った。

このまま悪化するのかな。

もう疲れてきたな…

助けてほしい。

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪

 

私は?♪

私はどうしたいのか?

夫を思い通りにしたいのか?

夫の魂を閉じ込めたいのか?

ううん、違うよね。

夫の思うように生きてもらいたい。

夫が笑ってくれているのがいい。

今まで10割私に向いていたものが、例えば5割になった時、、、

寂しさと闘うのは自分自身。

夫は何も悪くないのだ。

私を大切にしてくれていないわけではない。

ただ、ただ、私以外に向く趣味ができた時、

私が寂しいだけなのだ。

それはあの事があったからではない。

きっと決まっていた課題なのだ。

私が自分のエゴと向き合うために

私が自分の勝手な部分を知るために。

 

私が一言「いやだ」と言えばやめるよ、と夫が言った。

本気だろうか?

それは

私の気持ちを思って、なのだろうか

それとも

そうなってくるとめんどくさいから、なのだろうか。

本音はいやだ。

何か違う。

夫がスポットを浴びる場所はそこじゃない。

そう思うから。

気持ち的にもやっぱりいやだ。

ザワザワする、チクチクする。

でもそれを言って夫がバンド参加をやめたとして

私の気持ちはどうなのか?

スッキリするのか。ううん何か違う。

私はわかっている。

いやだといってやめてもらったところで

違う形となってまた問題は起きてくるのだ。

しかももっと大きな問題となって起きてくるのだ。

それを知ってしまっている以上、なんとしてもここで乗り越えておかないといけないのだ。

がんばれ、私!

乗り越えられるから起きてるんだ。

乗り越えて、今世で気持ちよく卒業して来世を迎える。

かんばるんだ!

ちゃんと頑張れるんだ!私も。

迷ったら、立ち止まったら、

相手を自分の思い通りにしたいのか?

それとも自由にいてほしいのか?

自分自身問いかける事にしよう。

こんな風に思えるだけでも少し成長したよね、私。

ありがとう。

 

しめしめ、これはきっと、うまくいく♪